仏弟子の終活 死に直面した人が執着を離れるレッスン|スマナサーラ長老のパーリ経典解説(相応部55 54「病者経」を読む)

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  • Опубликовано: 15 ноя 2024

Комментарии • 5

  • @rumfordbaking
    @rumfordbaking 5 дней назад +3

    ありがとうございます🙏

  • @MILILIUARTIST
    @MILILIUARTIST 4 дня назад

    🙏

  • @Tokihouse-i6l
    @Tokihouse-i6l 5 дней назад

    ありがたく拝聴しています。
    今は全て受け入れて生きたいと思うのですが嫌いな人への恨みさえ解けません。
    理屈が通れば納得できますが立場も資格もない方の「仲良しの押し売り」は人生を妨害されたと考えて許すことが出来ません。「あなたの為に」と言いながら自己の欲望を満たす人が高齢者であると怒りを抱えたままになる。
    愛着は感謝して流すことが出来ます。憎しみは許すことで流すのでしょうが近所に住む自己中心的な高齢者を見るたび怒りが湧きます。
    終活は時間がかかりそうです。
    喜びを手放しても悲しみは持ち続けるように愛を手放しても憎しみは心に染みたままです。
    無我になれるのはいつになるだろうか?と気になります。

    • @ehikaru3502
      @ehikaru3502 4 дня назад

      執着はすなわち接着。
      それを結びつけているのはそれを結びつけた自分自身の意ですが、接着剤そのものをほぐし、溶いていく働きかけが出来るのも自分自身です。

  • @yukisakurai8093
    @yukisakurai8093 4 дня назад

    偉大大大なるスマナサーラ先生。お受けした無限大の御恩は、涅槃に達するその瞬間まで忘れません。頭面接足帰命礼。佐藤哲朗先生にもこころより尊敬と感謝申し上げます。サードゥ・サードゥ・サードゥ。